今日は8月6日、広島に原子爆弾が投下されてから70年目の日です。
この70年間の広島の歴史は、核兵器の恐ろしさとともに、困難に立ち向かい、それを克服する人間の偉大さを教えてくれます。
昭和20年の年の12月末までに14万人もの人々が犠牲となり、その後遺症は今でも多くの被爆者を苦しめています。
広島の人々は、この困難に挫けることなく、発展を継続してきました。広島と言う街が、世界の心ある指導者と市民から注目され、敬意を持たれ続けているのは、悲劇の街であると同時に、悲劇を乗り越えた「再生の街」であるからだと思います。
被爆者団体と安倍総理の会談では、被爆者の代表者から安保法案への不安の声も挙げられたとのこと。
戦争の悲惨さと核兵器の非人道性を最もよく知る人々からの指摘は、日本国全体にとっても、中央政治のリーダーにとっても非常に重いものだと思います。
海外の友人達と話をしていても、東京や大阪は勿論、広島や長崎に訪れたいと希望する人々がとても多くいらっしゃいます。そういう人々を増やし、核無き世界を実現するためには、やはり世界中の若者や指導者に広島、長崎を訪問して頂き、核兵器の悲惨さを改めて知ってもらうことが非常に重要です。
国内外の多くの指導者が「広島、長崎の地を訪れ、被爆の実相を学ぶように」と呼び掛けておられます。とても重要なことだと思います。
実際に広島の地を訪れてみると、魅力ある都市だと感じます。
平和都市としては勿論、沢山の観光資源や水辺の街としての美しさ、カープ、サンフレッチェ、都道府県対抗女子駅伝といったスポーツ面の魅力、最近は映画祭の開催にも力を入れておられます。ものづくり企業が集積する経済都市としての魅力も備えています。
私は、こういった多方面の魅力こそが、都市の一番の強みだと考えます。
もちろん、我が山形も負けてはいません。
私たちの街には、東北芸術工科大学をはじめ、山形国際映画祭など映画文化都市としての魅力を備え、モンテディオ山形を始めとするスポーツの魅力も溢れています。
そして、これまでも多くの先輩方が「平和都市山形」としての役割も大切にされてきました。
平和のような普遍的な価値の発信、とりわけ世界の人々への発信には、蔵王や山寺と言った日本的な美しさを実感できる景観や文化遺産、そして映画文化の持つ力はとても重要です。
多くの人々に訪れてもらう際には、山形の誇る美味しい果物や山形牛、蕎麦、つや姫、日本酒。
沢山の山形の特産品も重要であることも言うまでもありません。
こうしたいくつもの山形の宝を「オール山形」で有機的につなげていくことの大切さ、私が最も事にしたい点です。
日本中が平和を考えるこの8月、戦争の犠牲になった沢山の先人達、そして焼け野原から祖国と故郷を見事に再興していった先輩達のご苦労を思いながら、平和で豊かな国と故郷を未来世代へと繋ぐ責任を、改めて強く自覚する時間にしたいと思います。
70年目の日に、山形から平和を祈りながら。
2015年8月6日
梅津ようせい