皆さん、こんばんは。梅津ようせいです。
私が山形県の防災士会を立ち上げたのは、やはり東日本大震災がきっかけでした。
そしてまたこの度の山形市長選挙の立候補にあたり、東日本大震災のときの働きを評価してくださった多くの市民の皆様からのご要請と、ご支援を受けて出馬を決意し。現在、山形市長選にむけて挑戦しております。
東日本大震災の際は、わが山形では山形空港が大変重要な拠点となりました。
赤ちゃんの粉ミルクはじめ、様々な食料品や物資の供給など当時、農水大臣政務秘書官として奔走しました。その時の有事における経験を今後の山形市政の防災対策にもぜひ、活かしたい!
今回 あらためて「ふるさと山形を守る責任」について山形市長選の公約の中でもよくよく熟慮し、とくに防災政策については、私なりの想いも入れて徹底強化しました。
本日ご紹介する動画は、東日本大震災発災後はじめて山形駅から東京にむけて発車した始発の山形新幹線です。
あの日の早朝、山形駅のホームに立った時のこと、新幹線がホームに入ってきた瞬間のこと。
東京にむかう朝のことは、今でもよく脳裏に覚えています。
私が、ふるさと山形を守るぞ!と強く強く意識し始めたのもこの頃からでした。
梅津ようせい物語「東日本大震災発災後初の山形新幹線始発に乗る」
梅津ようせい